大国主神と火明命
播磨国風土記には「乱暴者であった息子の火明命に手を焼いていた大国主神は、逃げようと企てます。
因達神山まで来たところで、火明命に水を汲みに行かせ、その間に船を出して置き去りにしました。
それに気がついた火明命は怒り狂って波風を立てせ、大国主神の船を転覆させてしまいました。
それで船の難破したところを船丘・波が来たところを波丘と呼ぶようになりました。

播磨の開拓神、国主としての大国主神