謎なのが、同じ形式の小型鐸は勿論ですが、制作時期の違う大型鐸も、それぞれの大きさがほぼ揃っている事です。この事実の示す事は、「最初から
大小の銅鐸の大きさを意識して集めた」ということです。最初から「入れ子」にして埋納する事を前提として銅鐸を集めた意図がうかがえます。
何のために「銅鐸を入れ子にして集め」、「銅鐸を埋納したのでしょうか」何か関連性はあると思いますが、この謎もまだ解明されていません。
さらに、埋納抗に銅鐸を鰭を立てた状態で置き、埋める際には、ただ土を被せるのでは無く、粘質土と砂質土を交互に積み重ねる様にして、埋められていました。
この埋納抗の直ぐ近くでは、同じような形式の穴が見つかっています。しかし、この穴からは何も見つからず、粘質土と砂質土が交互に堆積していました。
これらの行為は、何らかの意図があって造られていたようです。

 

 

 

加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸の謎其の三