豊臣秀吉は、尾張国の農民あるいは足軽の家に生まれたと言われています。織田信長に仕官するとみるみる頭角を現し、主要武将の
一人となり、信長が本能寺の変で死亡すると天下統一を果たしました。関白・太政大臣の官職につき、生前は上から二番目の位階で
ある従一位となり、慶長三年に亡くなると、最高位である正一位の神階と豊国大明神の神号が追贈されました。
亡くなった翌年には、京都に豊臣秀吉を豊国大明神として祀る豊国神社が創建されました。地震が起きた際には豊国神社周辺は被害
が出なかったため、地震除けの神様として信仰され、明治維新後は天下統一後も幕府を開かなかった功臣として豊国大明神は再興され
四民平等が謳われた明治政府のもと、立身出世の象徴として広く信仰されるようになりました。

 

 

 

 

 

 

豊国大明神