2.出雲国造の任命と国造家の姓(かばね)

 天穂日命が出雲大社に御奉仕になって以来、その子孫が代々出雲大社の斎主として神勤奉仕なさっていましたが、第12世氏祖命(おほしのみこと)の代になって、
崇神天皇(すじんてんのう)の御世、国の制度として国造職が定められ、氏祖命以降しばらく出雲の国の国造職を兼務されることになりました(国造本紀による)。
ここで注意したいのは、国造職は国の制度の上では廃止になりますが、出雲ではなぜかこの職名が習慣的に残り、中世、近世の公式文書にも記録されています。
最初は国の職名であったものが敬称として残り、今日に至ったものと思われます。また、当時は一般には家の姓がないのが普通でしたが、国造家第17世国造宮向の時代に
「出雲」の姓を賜ったことが、当家所蔵の建保2年(1214)8月新院庁御下文(おんくだしぶみ)に記されています。

出雲国造北島家の歴史