慶長年間から始まったと伝えられる「吉兆」さんは、大社の町に十三組もあって、その絢爛豪華さは神都の新春を飾るにふさわしい御神事として今も盛んに行われています。
この「吉兆」さんは高さ10メートル、巾1メートル余りもある金襴幟旗で中央に「歳徳神」と大きく縫いとりされ、その下に所属の町内名が書かれ、
の周囲には目にも綾なる金色の龍が画かれ、幟の先端には日・月を画いた扇を、さらにその頂には金色に輝く剣が立っています。
これを町内ごとに正月三日の早朝、総出をして担ぎ、笛鼕の囃子とともに大社にお参りして御前に立て、「神謡」をうたい、新年の幸せと御代の萬歳を祈り、
その後町内を練り歩きながら福をまきます。全町に美しい絵巻物を繰り広げ、ゆるやかな囃子と「神謡」をうたう声に町内は薄暮にいたるまでわきかえります。
また、この日は恐ろしい形相をした面を被り、きらびやかな神楽衣装を着けた「番内」さんが出てくる。孟宗の割の竹をひきずり”悪魔払い、
悪魔払い”と大声で叫びながら町をかけ廻り町内の知人宅の玄関先に立っては地面を力一杯に叩いて歩き廻ります。
「番内」さんは、「吉兆」さんの露払いとして先導役をつとめた厄年の男で、地面を力一杯叩くことによって、自分とその家の禍事を祓いきよめて幸せになると信じられています。

 

 

 

吉兆神事

出雲大社「吉兆」の歴史といわれ