 黄泉の国から現世に戻ったイザナギは、死者の国の穢れをを洗い流します。
黄泉の国から現世に戻ったイザナギは、死者の国の穢れをを洗い流します。
 これが、禊祓で、その場所は「竺紫(チクシ)の日向の橘の小門の阿波岐原」です。
 竺紫は九州です。日向は、日向の国(宮崎県)説と、日に向かう地であって特定の場所ではないという説があります。
 橘と阿波岐は木の名で、小門は水辺です。
つまり九州の、橘がある水辺の阿波岐が生えている場所で、身体を洗ったということです。
 山陰の黄泉比良坂から現世に出てきたはずなのに、遠く離れた九州まで穢れたままの姿で移動しています。
 変だとは思いませんか?
 そこで、「日向は特定の場所ではない」との説を採用した場合、もし竺紫=チクシの音で呼ばれるような地が、
 伊賦夜坂の近くにあれば・・・・・・・・。
 この場所は九州でなく、山陰地方になります。
そんな場所があるのでしょうか?   実は、一か所だけあるのです。
 出雲風土記の嶋根郡の頃に、チクシに似たチクミという地名が載っています。
 「シ」と「ミ」の違いで、しかもそこにはイザナギの子が祀られているのです。
A 爾佐神社(島根県松江市美保関町千酌)
 入り江沿いを走る国道37号線脇の、JAの建物の後ろにあります。
 出雲風土記には、隠岐の島への渡し場(港)と書かれています。
 道が整備される前は、水際から100mばかり砂浜を登った小高い場所に建っていたと思われます。
 水辺に立ち、往古の渡し場を想像すると、風土記時代の息吹が聞こえてくるような気がします。
 それより更に数百年前の、海と砂浜と草木だけが茂る景色を想像すると、イザナギが体を洗っている様子までもが見えるような、幻想的な雰囲気を醸し出している場所です。
古事記が口伝えを文字にしたものです。長い年月、何度も伝えられている間に、誰かが、「チクシ]と「チクミ」を聞き間違えて伝えていたとしたら?
 そこには、橘と阿波岐が生えていたかも。
さらに、地図を開いて千酌と伊賦夜坂を結ぶように定規を置き、南の方角の地名を拾っていくと、高天原を追放されたスサノオ降り立った「鳥髪」(船通山)がぴったりと当てはまるのです。・・・・これはただの偶然なのでしょうか?
 千酌浦に行って見るのも面白いと思います。
 そして、「比婆山」のところで紹介しましたお墓山も、この直線上にに並んでいます。
 千酌海岸
千酌海岸

爾佐神社

