国譲りのその後(スセリ姫とシタテル姫)

山陰地方中部の支配権をアマテラスの子に譲り渡したオオクニヌシは、幽界に身を引いたことになっています。
それは、スセリ姫と余生を静かに送った事を意味するのでしょうか?
大山裾野にある唐王神社(鳥取県西伯郡大山町)に、その後の二人の足跡が残されています。

オオクニヌシの国譲りは、高天原で大きな評価を得ました。
そこでタカミムスヒは「お前のこのたび我々の臣となったが、地元の女が妃では今ひとつ信用できぬ。我が娘ミホツ姫を嫁にし、部下を率いて末永く我らの子孫を守れ・・・」と、オオクニヌシが天つ神の一族になれるように取り計らいます。
社伝は、大国主神はこの扱いに感涙を催したと記しています。(唐王神社社伝)

これは、唐王神社関係者が日本書紀から抜粋したようですが、書かれている住所は島根県汗入郡唐王となっています。明治初期、鳥取県西部は島根県でしたので、それ以前に書き写されたと考えられます。

さて、オオクニヌシが感激したのは一時で、スセリ姫の扱いに困ったはずです。なにしろスサノオの娘で、正妻で、オオナムジがオオクニヌシになれたのは、
彼女のお陰なのですから。古事記では、「オオクニヌシとスセリ姫は、仲良く暮らしました」としています。
でもヤチホコの妻問いでは「夫が逃げ出したくなる程の嫉妬深い女」です。
つまり、「男にとって鬱陶しい女」だと強調していました。
唐王神社の社伝に、「オオクニヌシは永く日隅宮(出雲大社)に鎮座し、スセリ姫は比の地に鎮座す」とあり、二人が別居していたことを伝えています。
オオクニヌシは国を譲ったあとで、スセリ姫を捨てたのでしょう。ヤチホコの妻問いでのスセリ姫評は、この結末が仕方ないことだと暗示していたのではないでしょうか。
同社伝は、「オオクニヌシとスセリ姫は、美保の崎(島根半島東端の美保関町)から船でやって来た。彼女が暮らすことを納得したのは、三度目の転居地であった」としています。
政略結婚ですから、オオクニヌシも後味が悪かった事でしょう。
妻の「納得して住む場所捜し」に、とことん付き合ったようです。

広大な裾野に唐王神社が建つ大山は、火神山と呼ばれ、出雲風土記の「国引き」で杭とされた山です。「神紙志料」(巻一七)佐比売山(三瓶山)神社の條に「その昔、オオクニヌシ・スクナブコナ・スセリ姫が、出雲から伯耆国大神山へ来、山頂から未開の国土を見渡し国作りをお考えになった場所」と記されているそうです。
この由来により大山は、山そのものがオオクニヌシの御神体とされています。

大神山神社 奥宮(鳥取県西伯郡大山町大山)
























































































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