時代が流れ徳川幕府が登場すると、石見銀山は天領となり大久保長安が初代の銀山奉行に命じられました。
荷分け制という新しい経営方法と甲州流の銀山技術を導入し大増産に成功しました。
年間1万貫の産銀量に増やしたそうです。
この頃が石見銀山のピークで段々坑道も深くなり湧水も多くなり当時の技術ではかなり難しかったようです。
明治20年に大阪の藤田組が購入し、一時期銅山として活気を取り戻しましたが、大正12年に休山追い込まれました。
余談ですが、江戸時代には銀を生成するときに副産物としてヒ素が取れます。これを石見銀山猫いらずという名で売っていました。
江戸時代初期の怪談に「四谷怪談」という有名な話があります。ここで登場する小岩さんにこの毒薬を飲ませたという話が伝えられています。
詳しくは、四谷怪談で検索してみて下さい。季節外れの怪談話も面白いかも?

 

石見銀山の歴史其の四