勾玉の形を魂の形を表現したとする人類学者もいます。鉤形の装身具には身体から遊離する魂をつなぎ止め、外部から侵入してくる邪霊を防ぐ役割が
あったと考えられます。この勾玉を始め多くの玉類を中心的に生産していたのが、出雲地域であった事が、100を超える玉作関連の遺跡が確認されています。
弥生時代前期から古墳時代まで玉作が行われ、一度終焉を迎えますが、再び奈良時代から再開され、平安時代まで続きます。ひとつの地域で長期間にわたり
玉作が行われたのは、出雲地域だけです。その大きな要因が玉造温泉の背後にある花仙山があげられます。
花仙山からは、良質な出雲石と呼ばれる瑪瑙や碧玉、水晶など玉作りには欠かせない玉材が豊富に産出されます。

 

 

勾玉の形