阿国自身は慶長12年(1607年)、江戸城で勧進歌舞伎を上演した後、消息がとだえましたが、慶長17年4月(1612年5月)に御所でかぶきが演じられたことがあり、阿国の一座によるものとする説もあります。
没年は慶長18年(1613年)、正保元年(1644年)、万治元年(1658年)など諸説あり、はっきりしませんが(二代目阿国がいたのではないかという説もあります)。
出雲に戻り尼になったという伝承もあり、出雲大社近くに阿国のものといわれる墓があります。また、京都大徳寺の高桐院にも同様に阿国のものといわれる墓があります。
旧暦4月15日(現在では新暦4月15日とも)が「阿国忌」といわれています。

 

 

 

 

 

その後の阿国