八口神社-印瀬の壷神さま(やぐちじんじゃ・いんぜのつぼがみさま 雲南市木次町)

【壷神由緒】

「祭礼」旧暦六月三十日

「壷」口経四寸五分・腹経六寸五分・深さ五寸

神代の昔、須佐之男命が八岐の大蛇を退治なされる時、脚名槌、手名槌の夫婦に「汝等は八塩折の酒を醸り、垣を造り廻らしその垣に八門を作り、門毎に八桟敷を結い、
その桟敷毎に酒船を置きて船毎にその八塩折の酒を盛りて待ちてよ」と仰せられた -古事記より-
 その時の酒壷の一つを祀ったものである。昔土民がこの壷に触れたところ、俄に天はかきくもり山は鳴動して止まず、八本の幣と八品の供物を献じて神に祈ったところようやく鎮まったという。
村人たちは人の手に触れることを恐れ多くの石で壷をおおい玉垣で囲み、注連縄をめぐらし昔のままの姿で昔のままの場所に安置することにつとめ現在にいたっているものである。
 毎年旧六月晦日の夕刻には氏子全員がにぎやかに参拝し、昔ながらの八本の幣と供物を献じて壷神祭を続けている。昔から「印瀬の壷神さん」として広く知られている。
 今現在、八塩折りの酒の商標登録は広島県呉市の酒造メーカーがお持ちです。
【八口神社】
 木次町大字西日登1524-1

「御祭神」 須佐之男命 櫛名田姫命
 「配祀祭神」 国神社(脚名槌命、手名槌命)八幡宮(誉田別命)
 「例大祭」十月二十七日

「由緒」
 現存する最古の棟札は宝暦八年修復(一七五八)のものであるが当社の建立年代は不明である。

簸ノ川(斐伊川)の天が淵(湯村地旧)に住む八岐の大蛇は国神である脚名槌、手名槌夫婦の娘を、年毎に一人ずつ奪った今年はついに八人目の末娘、
稲田姫が奪われようとしていると泣き悲しんでいた老夫婦から事情を聞かれた須佐之男命は現社地に仮の館を建てさせ見事に大蛇を退治されたという。
 -八岐の大蛇退治の物語-
 今境内に「壷神」として祀られてあるのは、その酒壷の一つである。天正年代(一五七〇)三沢城主為景の建立した国神社があったが後世荒廃し合殿として当社に合祀されている。
古来より例祭には「八塩折の酒」を作って献上していたが今は行われていない。
 明治四十三年神社制度の改革により三社神社に合祀されていたが、氏子(七戸)の熱心な願望により昭和二十一年御分霊を奉斉して飛地末社となし、昭和三十一年宗教法人として設立。
元の社地に復旧したものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出雲のパワースポット (印瀬の壷神さま-八口神社)