出雲大社北島国造家の歴史6

6.出雲国造家の分立

始祖天穂日命以来、第54世孝時国造まで出雲国造家は一統で続いてきました。時あたかも南北朝時代に及び、時代の風潮もあってか、第55世清孝国造の後をめぐって兄弟の間に争いが生じ、
以後北島・千家と分立することになったのは当時の時世とはいいながら残念なことでありますが、今となっては止むなきことで、両家共国造家の格式を重んじて共々繁栄しなくてはなりません。

しかるに世間一般では、とかく両家の本末を論じ、その黒白をつけたがっている向きもあるようですが、このことは厳に謹まねばならず軽々に論じてはなりません。
しかし、どうした訳か一部の辞典など出版物に、分立の史実を誤って記されているケースが見受けられます。その代表的な例は、清孝国造をめぐる血縁関係について
「清孝と千家家の祖となった孝宗は父子、清孝と北島家の祖となった貞孝は兄弟」というもので、このことは史実と異なっています。

北島国造家所蔵の重要文化財である306通の古文書のうちの1通に下図のような当時の系図があります。

上の系図によれば、清孝、孝宗、貞孝は父を孝時、母を妙善とする兄弟であることは明白で、今日では千家家でも清孝、孝宗、貞孝が兄弟であることは認めておられると理解しています。

国造家の分立について、北島家は父孝時国造の家督を相続した家系であると主張し、千家家は第54世のあと、第55世国造となられた(孝時国造は一期間と命じている)
兄清孝から受け継がれた家系であり、それに付随して両家夫々に吾が家を本家と主張していますが、歴史を論ずるには史料に基づいて論じなくては無意味であります。

昭和28年に発行された「季刊神道史学第4輯」に、当時東大史料編纂所所員で国学院大学教授を勤められていた村田正志博士による『出雲大社の古文書』という論文があり、
本件に関して次のように述べられています。

「千家・北島両家の所伝に相異なるものがあり、それに伴う両家の間に争論が生ずることとなったのである。即ち千家方は

1.文保2年(1318)11月14日孝時去状

2.建武2年(1334)8月10日孝時譲状

3.康永2年(1343)3月28日清孝譲状

4.康永2年(1343)5月16日妙善書状

5.応安4年(1371)12月19日孝宗譲状

などの文書により、両職は孝時よりその子三郎清孝に伝わり、更に清孝の弟孝宗に伝わり、孝宗よりその子孫に伝わったというのである。これが千家氏である。

しかるに北島方では

1.建武2年(1335)11月2日孝時譲状

2.建武2年(1335)11月15日孝時置文

3.建武3年(1336)6月2日覚日書状

4.建武3年(1336)6月5日塩冶高貞下知状

5.建武3年(1336)7月23日塩冶高貞下知状

6.暦応2年(1339)8月2日覚日譲状

7.応永24年(1417)12月13日資孝譲状

などの文書により、両職は孝時より貞孝に伝わり、以下その子孫に伝えたという。これが北島氏である。ただしこの間、孝時の後、覚日の考えから、
清孝は一代だけ所領所職は相伝すべく規定されている。

ともかく国造神主家は孝時の後両派に分裂し、相抗争することとなったのであるが、今日古文書学の素養を有するものにあっては、両者何れの文書が正しく、
したがって何れの申し分が史実であったか、自ずから会得せらるる所である。」

村田博士は以上のように学問的立場を述べられておられます。本稿では両家分立のことについては以上を記して読者の皆様のご参考に供するに止め置くことにします。

カテゴリ:出雲大社, 出雲市周辺ガイド, 周辺の観光スポット 最終更新日:2012/07/19
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