出雲大社北島国造家の歴史16

16.出雲国造家系譜

始  祖 天穂日命
第 2世 武夷鳥命(たけひなどり)
第 3世 伊佐我命
第 4世 津狭命
第 5世 櫛?前命(くしみかさき)
第 6世 櫛月命
第 7世 櫛?鳥海命(くしみかとりみ)
第 8世 櫛田命
第 9世 知理命
第10世 世毛呂須命
第11世 阿多命 また出雲振根と名のる
第12世 氏祖命(おほし)
第13世 襲髄命(そつね)
第14世 來日田維命(きひたすみ)
―野見宿禰 姓氏録に曰く、天穂日命14世孫野見宿禰、菅原氏
第15世 三島足奴命(みしまそまぬ)
第16世 意宇足奴命(おうそまぬ)
第17世 国造出雲臣宮向
家乗の一本に云く、反正天皇の4年国造と為し始めて出雲姓を賜わる
第18世 国造出雲臣布奈
第19世 国造出雲臣布禰
第20世 国造出雲臣意波久
第21世 国造出雲臣美許
第22世 国造出雲臣叡屋
第23世 国造出雲臣帯許
第24世 国造出雲臣千国
第25世 国造出雲臣兼連
第26世 国造出雲臣果安
続日本紀元正天皇霊亀2年(716)2月丁巳、出雲国造外正七位上出雲臣果安、斎竟わり神賀詞を奏し、神祇大副中臣朝臣人足、その詞を以て奏聞す。この日百官の斎焉、
果安より祝部に至り一百一十余人に位を進し禄を賜う。各差(しな)あり。伝に云わく、始祖天穂日命斎を大庭に開き、此に至り始めて杵築の地に移すと云う。
第27世 国造出雲臣広島
聖武天皇神亀元年(724)春正月戌子、出雲国造外従七位下出雲臣広島神賀詞を奏す、云々
第28世 国造出雲臣弟山
天平18年(746)3月巳未、外従七位下出雲臣弟山に外従六位を授け、出雲国造と為す。孝謙天皇天平聖宝2年(750)2月癸亥、出雲国造外正六位下出雲臣弟山神斎賀事を奏す。
3年2月乙亥、出雲国造臣弟山神賀事を奏し、位を進め物を賜わる
風土記、意宇郡新造院1所、山代郷中にあり、郡家西北2里、厳堂を建立す。飯石郡少領出雲臣弟山これを造るところなり
第29世 国造出雲臣益方
廃帝天平宝字8年(764)春正月戊午、外従七位下出雲臣益方を以て国造と為す。称徳天皇神護慶雲元年(767)2月甲午、出雲国造外従六位下出雲臣益方神事を奏す。
すなわち益方に外従五位下を授ける。自余の祝部等、位を叙し物を賜わる差(しな)あり
2月春正月庚辰、出雲国造外従五位下出雲臣益方神事を奏し、外従五位上を授かる。祝部の男女159人を賜わる。爵各1級、禄またあり
第30世 国造出雲臣国上
光仁天皇宝亀4年(773)9月庚辰外従五位下出雲臣国上を以て国造と為す
第31世 国造出雲臣国成
桓武天皇延暦4年(785)2月癸未、出雲国造外正八位上出雲臣国成等神吉事を奏す。その儀常の如し。5年2月己巳、出雲国造出雲臣国成神吉事を奏す。その儀常の如し。
第32世 国造出雲臣人長
延暦9年(790)夏4月癸丑、従六位下出雲臣人長を以って出雲国造と為す(続日本紀)。延暦14年(795)2月甲子、出雲国造外正六位上出雲臣人長、特に外従五位下を授ける。
遷都に縁(よ)るを以って神賀事を奏するなり(類聚国史第十九)
第33世 国造出雲臣門起
延暦24年(805)9月壬辰、出雲国造外正六位上出雲臣門起外従五位下を授かる(日本後紀)
第34世 国造出雲臣旅人
弘仁2年(811)3月辛酉、出雲国造外従七下出雲臣旅人外従五位下を授かる。神賀事に縁るなり。3年3月癸酉、大極殿に御し、出雲国造外従五位下出雲臣旅人神賀辞を奏す。並に献物あり。
禄を賜わること常の如し
第35世 国造出雲臣豊持
天長7年(830)夏4月甲辰朔、乙巳、皇帝大極殿に御し、出雲国国造出雲臣豊持献ずるところの3種神宝、兼て出すところの雑物を覧(み)る。宮に還り豊持に従六位下を授ける
(以上並類聚国史)
(続日本後紀)天長10年(833)夏4月壬午、出雲国司国造出雲豊持等を率い、神寿を奏す。並に白馬1匹、生雉1翼、高机4前、倉代物50荷を献ず。
天皇大極殿に御してその神寿を受ける。国造豊持に外従五位下を授ける。
第36世 国造出雲臣時信
第37世 国造出雲臣常助
第38世 国造出雲臣氏弘
第39世 国造出雲臣春年
第40世 国造出雲臣吉忠
後一条天皇長元9年(1036)丙子10月18日、造大社既に成る。遷宮式を行う
第41世 国造出雲臣国明
第42世 国造出雲臣国経
後冷泉帝康平4年(1061)辛丑12月、社壇の傾倒を以って、急ぎ仮殿を修す。遷宮式を行う
5年壬寅4月22日、再び仮殿を修し遷宮式を行う。治暦3年(1067)丁未2月朔日己酉、大社正殿を経営し、遷宮式を行う
第43世 国造出雲臣頼兼
第44世 国造出雲臣宗房
系譜、堀河天皇康和元年国造と為す。同年逝く
第45世 国造出雲臣兼宗
康和元年嗣、2年庚辰3月5日国造に任ず
鳥羽天皇天仁元年(1108)戊子3月社壇傾倒、11月9日乙卯仮殿を修し成る。遷宮式を行う。永久2年(1114)甲午7月6日再び仮殿を修し、遷宮式を行う。
3年乙未6月18日正殿を経営し、遷宮式を行う。既に畢(おわ)りて神託を宣す。これに於いて更に神殿を修す。10月26日丁卯再び遷宮式を行う
第46世 国造出雲臣兼忠
崇徳天皇保延7年(1141)辛酉6月神殿傾倒、神体を竃殿に遷し、官使左少史大江元重等その事を検察す
近衛天皇康治元年(1142)壬戌11月仮殿を修し、遷宮式を行う。2年3月19日の宣旨、官使左史生紀良時来る。左弁官出雲国に下す文、載(しる)して大社志にあり
久安元年(1145)10月4日の宣旨、官史伊岐致兼・神祇史生秦重時等を遣わし覆勘(ふかん)す、左弁官下文、また大社志に載す。11月25日正殿を経営し、遷宮式を行う
5年己巳11月28日国造館災(そこな)う、前世の旧籍悉くここに焚滅す
第47世 国造出雲臣兼経
高倉天皇承安2年(1172)壬辰11月19日、仮殿を修し、遷宮式を行う
第48世 国造出雲臣宗孝(むねのり)
安元2年(1176)丙申11月29日仮殿を修し、遷宮式を行う。元暦元年(1184)10月28日、大将軍源頼朝出雲杵築社書、北島館に蔵す
第49世 国造出雲臣孝房(のりふさ)
東鑑則房と作(な)す。後鳥羽天皇文治元年(1185)11月3日国造と為る。庁宣、建久元年(1190)庚戌6月29日正殿を経営し、遷宮式を行う
第50世 国造出雲臣孝綱(のりつな)
土御門天皇元久2年国造と為る
―弟 経孝(乗光寺開祖)
第51世 国造出雲臣政孝(まさのり)
後堀河天皇嘉禄3年(1227)丁亥6月24日、仮殿を修し遷宮式を行う
第52世 国造出雲臣義孝(よしのり)
四條天皇嘉禎元年(1235)乙未11月2日神殿傾倒、急ぎ仮殿を修し神体を安ず。後深草天皇宝治2年(1248)戊申10月27日、正殿を経営し、遷宮式を行う。
亀山天皇文永8年(1271)正月2日神殿災う、仮殿を修し、神体及び神宝を遷す
第53世 国造出雲臣泰孝(やすのり)
後宇多天皇弘安5年(1282)壬午10月28日、仮殿を営み、遷宮式を行う。 室佐々木次郎左衛門貞清女、塩冶判官高貞姉、謚(おくりな)覚日
第54世 国造出雲臣孝時(のりとき)
後醍醐天皇元亨4年(1324)甲子2月16日、仮殿を営み、遷宮式を行う。元弘3年(1333)閏2月、天皇隠州より逃がれ出、伯州船上山に潜幸す。
綸旨を下し神廟所蔵の宝剣を需(もと)む。これに於いて孝時神代所伝の双剣の一を行在所(あんざいしょ)に献ず。その綸旨に曰く、宝剣の代わりとして用いられんがため、
旧(いにしえ)の神宝の内御剣あらば、渡し奉るべし、てへれば、綸旨かくの如し、これを悉(つく)せ。三月十七日、左中将花押、杵築社神主館
―孝景(上官森脇祖)
第55世 国造出雲臣清孝(きよのり)
俗称三郎、後醍醐天皇建武3年(1336)国造と為る。光明天皇康永2年(1343)逝く。在職8年、一期の人なり
―国造出雲孝宗
 俗称五郎、清孝同母弟
 別家の国造と為し、千家を以って氏と為す
第56世 国造出雲臣貞孝(さだのり)
小字阿加古麿、通称六郎、清孝同母弟、北島を以って氏と為す。康永2年(1343)国造に任ず。初め孝時嫡子清孝は多病、しこうして次子孝宗また五体不具を以ってこれを廃す。
第3子貞孝を以って定めて嗣と為し、譲職の遺令を作り、以ってこれに貽(のこ)す。既に母氏覚日及びその夫人妙善の交請に曰く、清孝多病と雖も既に嫡子たり、請うらくは清孝に使し、
一期の間襲職して後に伝えて貞孝に至るべからずか。孝時曰く諾。これに於いて孝時の没後、清孝国造と為る。然るに在職8年の後、清孝病歿。
これを以って貞孝天朝に請い父の遺令を以って襲職を得る。大庭神魂の社頭に於いて、神火神水の式を挙げ国造と為り、家督の相続完了す。孝宗国造たらんと欲し、
山名出雲守護代僧厳覚の援助により、旧(いにしえ)の検校中原家の屋敷跡に出所し、別ち立つ国造と為る。これ両家分立の所以(ゆえん)なり
―景孝 小字孫太郎、父の遺令を守り、北島家に属し、向氏を冒す。子孫富村を食邑とし、因(よ)りて或いは富氏と称す。向上官元祖
第57世 国造出雲臣資孝(すけのり)
後小松天皇至徳3年(1386)国造と為る
第58世 国造出雲臣幸孝(ゆきのり)
称光天皇応永28年(1421)国造と為る
第59世 国造出雲臣高孝(たかのり)
 後花園天皇永享10年(1438)国造と為る。後土御門天皇文明17年(1485)逝く。享年80有1
第60世 国造出雲臣利孝(としのり)
第61世 国造出雲臣雅孝(まさのり)
文亀2年国造と為る。天文18年(1549)8月16日逝く。寿70又8、室尼子経久女
第62世 国造出雲臣秀孝(ひでのり)
天文18年国造と為る。永禄11年(1568)9月8日逝く。寿70又3
第63世 国造出雲臣久孝(ひさのり)
永禄11年国造と為る。文禄2年(1593)閏9月7日逝く。室波根伊豆守女、名嘉多子
第64世 国造出雲臣広孝(ひろのり)
文禄2年閏9月国造と為る。正保5年(1648)戊子正月16日逝く。寿60有4。室日御碕検校小野元政女、改名玄光院殿
第65世 国造出雲臣晴孝(はるのり)
正保5年正月国造と為る。承応3年(1654)甲午8月6日逝く。室堀尾山城守高階忠晴家老赤穴城主松田左近源吉久女、吉久禄1万8千石
第66世 国造出雲臣恒孝(つねのり)
承応3年甲午8月国造と為る。寛文7年(1667)丁未3月晦日大社正殿を経営し、遷宮式を行う。9月10日永宣旨を賜わり、その文載して大社志にあり。寛文造営に当たり、
八雲山山麓の地の一統国造以来の居館地より、亀山山麓の現大社東境の地に移転す。延宝7年(1679)己未5月15日逝く。寿50又1。室松江候国臣栂半左衛門女
第67世 国造出雲臣兼孝(かねのり)
延宝7年5月国造と為る。元禄10年(1697)故ありて退職。寛保2年(1742)壬戌3月6日逝く
第68世 国造出雲臣道孝(みちのり)
元禄10年9月国造と為る。亨保15年(1730)庚戌9月13日逝く。元室南部氏女、次室鈴村氏女
第69世 国造出雲臣直孝(なおのり)
亨保15年9月国造と為る。天明4年(1784)甲辰8月24日逝く。元室団氏、次室祝氏
第70世 国造出雲臣惟孝(ただのり)
天明4年9月朔日国造と為る。寛政3年(1791)辛亥正月20日逝く。寿50有1。元室冷泉中納言為村卿女、名樹姫。次室石見国造金子某女、名繁子
第71世 国造出雲臣明孝(あきのり)
寛政3年正月国造と為る。享和3年(1803)癸亥閏正月17日多病を以ってすなわち老いる。在職13年。時に年32。旅人と称し、更に好孝と名のる。室鷲尾大納言隆建卿女、
名富貴姫
第72世 国造出雲臣宣孝(のぶのり)
享和3年正月国造と為る。文化2年(1805)乙丑閏8月3日逝く
第73世 国造出雲臣起孝(おきのり)
文化2年閏8月国造と為る。4年丁卯6月25日逝く。室松江世臣羽田武右衛門女
第74世 国造出雲臣従孝(よりのり)
文化4年6月28日国造と為る。夫人上官森脇弘人孝唯女
第75世 国造出雲臣全孝(たけのり)
通称神健彦、始め名を順孝(としのり)と称す。従三位。明治19年(1886)6月18日薨。享年84。元室日御碕検校小野尊道女、名伊予姫。次室甘露寺一位国長卿女、名淑子。
明治19年10月2日夫人逝く
第76世 国造出雲臣脩孝(ながのり)
明治5年(1872)神社改正令により、大社奉仕の世襲職を解かれる。華族に列す。明治17年7月授爵仰せ付けられ、従三位、男爵。生母従一位甘露寺国長卿女。
天保5年(1834)8月4日生、明治26年(1893)3月7日薨。享年60
  以下人名のみを掲げ略記に従う
第77世 国造出雲臣齋孝(なりのり)
文久3年7月29日生。貴族院議員、従三位勲四等、男爵。大正7年11月9日薨。享年56
第78世 国造出雲臣貴孝(よしのり)
明治17年7月10日生。貴族院議員、従三位勲三等旭日章、男爵。昭和31年8月20日帰幽
第79世 国造出雲臣英孝(ふさのり)
大正14年4月16日貴孝次男として生る。昭和31年神火相続、従五位、藍綬褒賞。平成17年9月1日帰幽、享年81
第80世 国造出雲臣建孝(たけのり)
昭和33年7月30日英孝長男として生る。平成17年神火相続、現主
―世嗣大孝(ひろのり)
 平成2年10月20日生、建孝長男

カテゴリ:出雲大社, 出雲市周辺ガイド, 周辺の観光スポット 最終更新日:2012/07/29
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