隠岐は古くから小野篁や後鳥羽上皇といった身分の高い人々が流された流人の島としても知られています。後醍醐天皇もその中の一人です。
鎌倉幕府打倒を目指した後醍醐天応は、正中元年81324)年に一回目の挙兵を計画しますが、失敗。この時は、罪を逃れられましたが
元弘元年(1331)年再度、倒幕計画を企てましたが、これも発覚してしまい笠置山にこもります。しかし、捕らえられて光厳天応への
譲位を迫れれます。自ら隠岐の島への島流しを希望しました。隠岐の島では、どこに住んでいたのでしょうか?
二つの説があります。島前の黒木御所だとする説と、道後の隠岐国分寺だとする説です。

 

 

 

隠岐国分寺

後醍醐天皇の行在所