出雲の阿国は安土桃山時代の人物で、歌舞伎の創始者といわれる女性です。出雲大社町の鍛冶屋の娘として生まれ、その後出雲大社の巫女になりました。
文禄年間(1592~1596)出雲大社の勧進の為諸国をめぐった際に披露した踊りが「阿国歌舞伎」と呼ばれ、現在にも繋がる歌舞伎の原型になったと
言われています。最初の「阿国歌舞伎」は、慶長八年(1603年)春の京都北野天満宮での興行をさす場合が多い。脇差しを差すなど男装して茶屋遊びに通う
伊達男を演じたもので、大変な人気を集めました。同じ年御所でも「かぶき踊り」を演じるなど、京都周辺で阿国達は勧進興行を行いました。
この時は女性が男装をしてストーリー性のある舞を演じたものでした。阿国一座が評判になるとこれをまねた芝居が遊女によって盛んに演じられる様になり
「遊女歌舞伎」とも呼ばれました。その色気が段々ましていったために儒学を重んじる徳川幕府によって女性による歌舞伎は禁止されます。
やがて、「若衆歌舞伎」と呼ばれる少年達による歌舞伎が盛んに演じられましたが、風紀を乱すという理由で幕府によって禁止され、役者が全員成人男性
である「野郎歌舞伎」に形を変えて行きました。
出雲の阿国は慶長十二年(1607)江戸城での勧進歌舞伎の記録は残されていますが、消息が途絶え、出雲に戻り尼となったとされています。
出雲大社の近くに阿国の墓とされる墓所もあります。

 

 

 

 

出雲の阿国の墓所

出雲の阿国