出雲市周辺ガイド カテゴリの一覧表示


Page 5 of 43« First...34567...Last »

丹波国の大国主神

現在の亀岡市を中心とする亀岡盆地周辺には土地の開発に関して大国主神に関した伝承が数多く残されています。観光で有名な保津川(桂川)の開拓などに出雲の力が大きく関与したことを覗わせています。                             「昔、保津峡上流域は大きな湖であったといわれ、但馬に来た大国主神は、この土地の神と力を合わせ保津の山を切り開き、豊かな土地を生み出したと言われています。湖の水は赤い色をしており、これが但波(赤い波という意味)の名の起源と言われています。

天日槍命

天日槍命は新羅の国の王子で、日本に渡って来た渡来神です。偶然手に入れた赤い玉から化身した阿加流比売を妻とします。
おごった心の夫の怒りを受け、妻は小舟に乗って日本に渡ってしまいました。悔いた天日槍命は妻の後を追いますが海上の守護神に行く手を阻まれ会うことが出来ませんでした。やむなく但馬に上陸し土地の女性と結婚、当地の土地開発に力を注ぎました。
新羅より持ち込んだ鉄器や土器などの新しい技術を伝え農耕の発展に貢献しました。出石市の「出石神社」に国土開発の祖神として祀られています。

播磨国風土記に語られる出雲神を祀る神社

「伊和神社」播磨国一の宮として宍粟市一宮町に鎮座し、祭神は通称伊和大神と言われ延喜式に「伊和坐大名持御魂神社」と記載されています。つまり大国主神であるとされています。「御方神社」兵庫県宍粟市一宮町森添に鎮座。御方の地にあり、大国主神を祀りしています。
「野見宿禰神社」たつの市龍野町に鎮座しています。野見宿禰は、垂仁天皇の御世に天下無双の強さを豪語する当麻蹴速を破ったことから相撲の元祖と言われた人物。天穂日命の14世の子孫とされています。

天日槍命との争いのもとは「鉄」

名前に「ホコ」があるように天日槍命には製鉄との関連があり、「これは土着勢力と渡来系の製鉄軍団の鉄を巡る争いであったことが考えられます。」古代の鉄の評価では出雲産、播磨産が最も良質と言われています。安来市広瀬町「金屋子神社」の伝承では、鉄の金屋子神は播磨から飛来したと伝えられています。この戦いを制して良質の鉄を得たことから、播磨から出雲へという鉄の流れが出来たのかも知れません。ちなみに天日槍命が追いやられた但馬の鉄の質は最低だそうです。つまり出雲の大勝利だったようです。

 

渡来神との抗争

伊和大神と天日槍命がそれぞれ大軍を率いて戦った事が語られ、その時の天日槍命の軍兵の数が八千軍(やちぐさ)であったことからかなり激しい戦いであったようです。「御方」の地名由来ですが、「大国主神と天日槍命は山からお互い3本の黒葛を足に付けて投げ合いました。大国主神の投げたものは、1本は宍粟郡御方に落ち、残り2本は但馬の気多の郡と夜夫に落ちました。
それで、三条という」とあります。日槍は3本とも但馬に落ちたこのため、但馬の出石に住むことになったと伝えられています。
渡来勢力を駆逐し出石に封じ込めたのです。

渡来神の侵入

「渡来神である天日槍命が宇頭川(揖保川)にやって来て、国の主である葦原志許乎命に泊まるところを求めたところ、葦原志許乎命は海上に留まる事を許しました。すると日槍は剣で海水を掻き回して島をつくりそこに泊まりました。
天日槍命の勢いに恐れた葦原志許乎命は、先に国占めをしようと川を遡り丘の上で食事をしました。この時飯粒を落としたため、粒丘(いいぼおか)と呼ばれるようになりました。「粒丘」の地名の由来ですが、渡来の強力な勢力の
侵入に慌てる大国主神の姿が見られます。

伊和大神

播磨一の宮「伊和神社」に鎮座する伊和大神は、風土記の中ではただの「大神」として登場しますが、「出雲から来た」と表現され箇所もあります。出雲大国主神の異名の一つ、同一神とされています。伊和というのは元々地名であり、渡来の神と勢力争いで戦う時、大国主神と協力して撃退する話もあります。時間をかけて大国主神と同化していったようです。このことから、地元の大神を取り込んで行く程、出雲の強力な存在があったといえると思います。

 

大国主神と少名彦名命

「二神の間でお互いに言い争い粘土を担いでいくのと、糞を我慢していくのと、どちらが先に行けるか」という話になり、大国主神は糞を我慢して行き、少名彦名命粘土を担いで行くことになりました。数日後、大国主神「私は我慢できないと」その場で用を足してしまいました。少名彦名命も笑いながら「私も苦しい」と粘土(ハニ)を岡に放り投げました。
このためハニ岡(現在の兵庫県吹田市)と呼ばれるようになりました。大国主神が用を足した時、小竹に弾きあげられた糞が服についてしまいました。このため波自賀の村と呼ばれるようになったようです。現在でも粘土と糞は石となって残っています。

播磨の開拓神、国主としての大国主神

大国主神と火明命
播磨国風土記には「乱暴者であった息子の火明命に手を焼いていた大国主神は、逃げようと企てます。
因達神山まで来たところで、火明命に水を汲みに行かせ、その間に船を出して置き去りにしました。
それに気がついた火明命は怒り狂って波風を立てせ、大国主神の船を転覆させてしまいました。
それで船の難破したところを船丘・波が来たところを波丘と呼ぶようになりました。

古代の温泉

神代の時代から続く温泉を古湯と称して呼んでいますが、特に古いものを3カ所選んで日本3大古湯と呼んでいます。
判定の基準として二挙げられています。
1.日本書紀、風土記に基づくもの
道後温泉(愛媛県)有馬温泉(兵庫県)白浜温泉(和歌山県)
2.延喜式神名帳に基づくもの
道後温泉(愛媛県)有馬温泉(兵庫県)いわき温泉(福島県)
出雲にも名だたる古湯が効能とともに出雲国風土記に記載されています。
玉造温泉(玉湯町)湯村温泉(木次町)潮温泉(大東町)湯の川温泉(斐川町)があります。

 

こんな所に出雲の影が?

延喜式にに載るこの地の古社は四社ありますが、その内出雲系は二社あります。この二社が祀られている地が、かつて出雲崗と呼ばれていました。このようなことを合わせ考えると、この地に出雲の勢力が影響を与えたことが考えられます。
温泉・医療をキーワーに大国主神と少名彦名命が祀られているだけでは、少し心許ないですが、「出雲」を冠した地名が残っており、そこにスサノオの命が祀られている神社が存在していることは、大きな証になると思います。
海洋民族と争い合いまたは、共存して出雲人が住み着いたに違いありません。

 

湯神社

主祭神  大国主神・少名彦名命

配神   相殿(出雲崗神社)素盞鳴命、稲田姫命
由来   湯神社は人皇十二代景行天皇の御勅建で、大己貴命・少彦名命の二神を奉斎する名社です。
創建当時は鷺谷の大禅寺の前にあったといわれていますが、地震のため温泉埋没の際、
現在の冠山の出雲崗神社の境内に奉遷し、合祀して四社大明神と称し、舒明天皇行幸のとき、
勅により神殿を新築したと旧記に記されています。国司領主の尊崇篤く、神田、幣帛の奉献がありました。
又御相殿の出雲崗神社は、素盞鳴命・稲田姫命を奉斎し、人皇七代孝霊天皇の御創建で、
湯神社と共に延喜式内の名社ですが、一時期右二社を御相殿に奉戴し、宝永五年に藩主の命で、
境内に別社となりましたが、明治四年再び相殿となりました。
その後、時代の変革により冠山が整備され、湯神社も新築されました。

 

伊予国風土記の大国主神

記紀にも出雲の国風土記にもこの地方に絡む伝承は残されていません。唯一伊予国風土記の逸文に大国主神と少彦名命の説話が載っています。
大国主神と少彦名命が伊予国を旅している時に、少彦名命が死んでしまいました。悔やんだ大国主神は現在の別府温泉から温泉を引いてきて少彦名命に温泉の湯を浴びせました。すると少彦名命はたちまち元気になり、四股を踏みその足跡が今も温泉の中の石に残っているそうです。

 

大三島の大山祇神

日向神話で語られる大山祇神は、かなり強大な勢力を南九州にに維持していたようで、高天原から日向に最初に降臨した(ににぎのみこと)から3代続けてその娘を妃としています。これは、取りも直さず、初期の高孫族がその地の有力者の力を借りるための婚姻だったと考えられます。

 

伊予の海人族

四国の内海側の国々、島々には、南九州経由の南方系海人族や北九州を経由して流れてきた大陸系、朝鮮半島系の海人族の痕跡が色濃く残されています。一つは大三島に祀られている大山祇神系統と諸所にに点在する北九州の宗像三女神を祀る宗像の流れを組む系統があります。大山祇神は一説には百済からの渡来という説もあるようです。

伊予国の大国主神

出雲の南方に目を転ずると、古代出雲の国と深い関係がある吉備の国が存在します。
さらに瀬戸内の島々を東に行くと四国に行き着きます。大国主神の伝承と共に出雲の足跡が残されています。
伊予国です。
出雲の勢力はどうして海を越え山を越えこの地まで勢力を伸ばしていったのでしょうか。

 

御柱祭

『古事記』に記述があるもので出雲のオオクニヌシが高天原から降ったニニギに国譲りを承諾したとき、ただ一柱反対したタケミナカタは武神タケミカヅチに追われることとなりました。結局諏訪湖畔まで逃げてきて降伏し、その際この地から出ないことを誓って許されます。その時結界として神社の四隅を仕切った、という話が残っています。
地鎮祭の神話的表現とも考えられています。
実際には、記紀神話以前からの諏訪地方の信仰との関係が深いといわれています。
神長官守矢氏の伝えるところによるとこの御柱はミシャグジの依り代であるということです。

建御名方神一族の信濃開拓

建御名方神が諏訪に入った頃の諏訪湖周辺は一面の萱の原であたといい、そこを御子神達と共に開拓して農業養蚕を広めていったと伝えられています。建御名方神には二十二神がいたとされ、その内信濃の国の開拓に功績があった十三神を若宮社に祀ってあります。また各所に親神の建御名方神と八坂刀売命とを加えて祀っている「十五社」という神社もあります。また、個別に祀られているものは、内県神を祀った千鹿頭神社、彦神別を主祭神とする建御名方神富命彦神別神社などがあります。御子神達と共に尽力して土着化して行った事から現在でも信仰を集めています。

 

諏訪大社に祀られる建御名方神

御柱祭で知られる信濃国一の宮諏訪大社は「延喜式神名帳」には「南方刀美神社」として揚げられている古社です。
建御名方神と妃神の八坂刀売命の二神を祀っています。全国各地にある諏訪大社の総本山であり、国内にある最も古い神社の一つとされています。諏訪湖の南側に上社として本宮・前宮の二宮があり、北側に下社として春宮・秋宮の二宮が有り、四の宮から成り立っています。それぞれの宮の四隅には「御柱」と呼ばれる柱が立てられていて、合計16本の御柱が7年目毎に立て直されています。その新しい神木の切り出しから立て直しまでの祭礼が勇壮な「御柱祭」です。

諏訪の侵入神である建御名方神

建御名方神が諏訪に入った時この地には、古来より諏訪地方を統べる神がいました。建御名方神と争いになり、戦いは建御名方神の勝利に終わり、敗北した土地神は諏訪地方の祭神の地位を建御名方神に譲り、支配下に入りこの地方の開拓の協力者になったとの伝承が伝えられています。建御名方神は元々土着の神とか、伊勢から来た神とか諸説はありますが、出雲から建御名方神がこの地に訪れて、この地方の開発事業に功績を残した事により厚い信仰を集め今日まで至っています

Page 5 of 43« First...34567...Last »
予約受付

防火基準適合マーク 当ホテルは防火基準適合表示要綱に基づく表示マークの交付を受けております。

交付日
 平29年8月1日
有効期間
 平成32年7月31日まで
公付機関
 出雲市消防本部

  • 住所
    〒693-0001
    島根県出雲市今市町864-5
    TEL 0853-23-1700
    FAX 0853-22-9620
  • チェックイン・アウト
    チェックイン時間  16:00より
    チェックアウト時間 10:00
  • 駐車場
    駐車場無料 大型車可