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越の国の大国主神

日本海沿いに北陸に延びる大国主神の足跡。越の国、能登現在の石川県に残る伝承と出雲との関係について考えてみましょう。
古事記には、この地域に関連する記事は、記されていません。また、出雲国風土記にも「古志郷」の地名由来説明で、「日淵川で池を造ったとき古志の国等が来てくれて堤を造ってくれた。この時、古志の国等が住んでいたので古志という」と記載されているだけです。その記述だけでは、古志の国人は、それだけでは、何処からやって来たのか特定出来ません。
しかし、この地には日本海沿いに大国主神をお祀りする神社が点在しています。その社伝から大国主神を初めとする出雲の神の伝承を伝えており、出雲との関係が、浮かび上がります。

 

翡翠を求めた娶いだったのか

この恋愛話の意味するところですが、古代の結婚が政略結婚であり征服、服従関係のなりたちであると考えると、大国主神
は、何を求めてこの地にやって来たのでしょうか。越の有力者の娘、奴奈川姫を娶って勢力を伸ばしてきたと考える図式が思い浮かんできます
そして求めたものは、翡翠だったのです。そして娶りが思いもよらず日数が掛かったことや、姫が頑なに出雲行きを拒んだと言う伝承は
この地の持つ特殊性から、ある程度我を張るだけの力を持っていた証では無いのでしょうか。
翡翠という貴重な資源を持っていたことで、納得出来ます。出雲大社の直ぐ近く社家通りの山側に真名井遺跡があります。
ここから、銅戈と共に立派な翡翠の勾玉が出土しています。出雲大社の境外摂社である命主社の直ぐ隣に位置し大国主大神を
死から救った神産巣日神を祀った社の側から素晴らしい翡翠の勾玉が出土している事は、大変に意味深いものがあると思います。
大国主神と奴奈川姫との恋物語は、実は出雲が翡翠の産地と交流していたことを語っていると思います。

出雲の奴奈川姫伝承

出雲地域でこの奴奈川姫の伝承に触れることは非常に少なく「美保神社」に配祀神として上げられていることと、出雲国風土記に「大国主神が高志の国の奴奈川姫と結婚して御穂須須美命が生まれ、美保神社に鎮座」したと記されているくらいです。風土記の「国引き神話」の中で、高志の国から土地を引いてきて貼り付けたのが「美穂埼(美保関)であると、語られていることを併せて考えると、高志との関係や奴中川姫そして御穂須須命の伝承が、伝わっていません。
何故なのか、分かりません。

奴奈川姫への求愛

古事記では、現在の新潟県糸魚川周辺に勢力を持っていた一族の姫奴奈川姫のに、八千矛神(やちほこしん)という名前で登場する大国主神が
娶いをかけたという恋愛物語が伝わっています。奴奈川姫との間で交わされた歌を通して二神の熱烈な恋が、伝わってきます。
その歌は、それぞれの思いを鳥に語らせる形で述べていますが、日本中で妻を得ることが出来ず、この高志の国に美しい姫が居ると聞いて遠くここまで訪ねて来た。「早く戸を開けて私を中に入れて欲しい」と、苛々しながら言い寄る大国主神に対し、奴奈川姫は「そんなに急かしますな。私はいずれ貴方の物になるのですから、そんなに騒がずお待ち下さい。」と焦らす作戦に出ます。そして、翌日になって大国主神はやっと思いを
遂げる事が出来ました。女性が男性を焦らすのは神代の昔からの常套手段だったようです。この伝承は二神の間で交わされた相聞歌を伝えるだけで「高志の勢力」に付いても翡翠ついても語ってはいません

古代祭祀器具としての玉

古代出雲の玉作り工房としては玉作湯神社周辺の遺跡が有名ですが。工房跡、玉の未完成品や砥石、穴を開ける鉄製工具などが出土し、
勾玉や管玉などの玉類が大量に出土しています。これらの工房の原石は近くの花仙山から掘り出した物で、碧玉、瑪瑙、水晶、滑石などが
上げられますが、翡翠について記録は、ありません。出雲大社近くの真名井遺跡から発掘された見事な翡翠の勾玉を初めとして、実際に
祭祀や装身具として使用された製品も出雲地域内でも多く出土していますが、その多くは古墳時代以降になって献上品としての正確が
色濃くなっています。当時として大変貴重な翡翠は何処から入ってきたのでしょうか、越の国との関係は、これから調べて行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

越の国の大国主神

越の国とは、越前、越中、越後に加賀、能登を加えて範囲のことを言います。今の福井県から富山県、新潟県、山形県の一部に至る古代の広範域の
勢力圏をさしています。古事記に「高志」という地名で出てくる現在の新潟県糸魚川市周辺は、上質な「翡翠の原石」の産出地として有名な所ですが
大国主神は此処でも足跡を残しています。遙々出雲から、この地の麗しくも美しい姫、奴奈川姫(ぬなかわひめ)に求婚するために訪れるという
恋物語が古事記に記されています。そこにはどのような歴史の反映があったのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

根の堅州国

須佐之男命が棲む根の堅州国は何処にあるのでしょうか?
1.須佐之男命は高天原時代に「母、伊邪那美命の棲む根の堅州国に行きたいと」泣き叫んでいます。
2.その母、伊邪那美命は黄泉の国に棲んでいる。
3.伊邪那岐命が伊邪那美命と別れた場所、大国主神が、須佐之男命から逃げ切った場所が、共に現世と黄泉の国の境で有る黄泉比良坂であり同じ場所。
4.伊邪那美命の墓の伝承地が熊野にある事などをを考えると、紀伊国(熊野)であると考えられます。

 

 

 

 

 

 

 

統治者、大国主神の誕生

根の国、脱出物語になります。寝込んだ須佐之男命の髪の毛を垂木に結わいつけたうえで部屋の戸口を大石で塞ぎ、須佐之男命の太刀と弓矢、託宣用の琴を
持ち出し須世理姫を連れて逃げ出しました。気付いた須佐之男命は、黄泉比良坂まで追いかけましたが、逃げ去る二人の姿を遠くに見ながら「その持っている
太刀と弓矢を用いて兄弟神達を平定し、須世理姫を正妻とし大国主神、宇都志玉神となれ」と叫びました。大国主神と呼ばれるのは、これ以降で有り、
須佐之男命が地上の世界の統治者として大国主神を認知する場面であります。出雲に戻った大国主神は須佐之男命の後継者として八十神平定を始め、国造りの
事業に邁進しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

須佐之男命の試練

まず始めに、蛇に部屋での寝起き。恐れおののく大国主神に須世理姫は、「蛇に噛まれそうになったらこの領巾を三度振りなさい」と蛇よけの呪具を手渡しました。
安全な一夜を過ごせましたが、次はムカデや蜂の部屋に入れられます。またしても、須世理姫は呪具を手渡します。またしても難を逃れましたが、三度目が、
鳴鏑を使っての火攻めです。須佐之男命は野原に鳴鏑の矢を射てそれを拾ってくるように命じました。大国主神が野原に分け入ると周りから火をつけました。
逃げ場を見失いおろおろする大国主神でしたが、足元の洞への逃げ道を鼠から教えられ難を逃れます。更にその鼠から須佐之男命が放った矢まで与えてもらい
子鼠が矢羽根を食いちぎっていましたが、その矢を持って、焼け死んだと思い葬式の準備をしていた須佐之男命親子の所へ、意気揚々と帰ってきました。
これだけで終わることは無く、次の試練が用意してありました。須佐之男命は、自分の頭の虱を取るように命じましたが、その頭にはムカデが一杯いました。
今度も、大国主神に須世理姫は「椋の木の実と赤土を口に含んで吐き出すように」知恵を授けました。大国主神を見た須佐之男命は、ムカデを食いちぎって
いる物と勘違いし、満足します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

根の堅州国訪問

根の国に到着した大国主神は須佐之男命の娘須世理姫に出合いました。直ぐに須世理姫に気に入られ結ばれます。大層麗しい神がお出になったという
須世理姫の報告を聞いたスサノオに命は、それは、葦原色許男(大国主大神)事だろうといって直ぐに迎え入れました。しかし、この後にはまた過酷な
試練が次々に待ち受けています。

 

 

 

 

 

 

 

八十神の迫害

初期の出雲圏は複数の有力者によって統治されていて、その勢力争いも熾烈であったと考えられます。若年の大国主神が兄神達を差し置いて因幡の八上姫
と婚姻を結んで勢力を拡大したことは、大きな妬みを呼ぶ事になりました。怒り狂った兄弟神達は共謀して大国主神を迫害し、2度死ぬことになります。
最初は、山の上から赤い猪を追い落とすから、お前は下で待ち受けてそれを捕まえろ。もし失敗したらお前の命は無い。脅かされ、兄弟神達が猪に似た
大石を真っ赤に焼いて山の上から落とした物を、下で受け止めさせて、焼け死んでしまいます。この時は母神が天上の神産巣日神(かみむすび)に助けを
求め、治療のため刮貝比売(きさかいひめ)と蛤貝比売(うむがいひめ)の看護で生き返りました。二度目は、切り倒した大木の裂け目に楔を打ち込んだ
物に大国主神を挟み込んで殺してしまいます。この時真も、母神の力で蘇生しますが、行き先を案じた母神が、木の国の大屋毘子神の所へ行くようにと
送り出しましたが、兄弟神達の迫害はまだ続き、須佐之男命の庇護を受けるべく根の堅州国を訪れました。

 

 

 

 

 

 

各地に伝わる桃太郎伝説は実は出雲神話から生まれました。

おとぎ話「桃太郎」は、岡山が有名ですが、同様の逸話は各地にも伝わっています。そして「古事記」には桃太郎伝説誕生を予感させるような
場面があります。黄泉国での醜い姿を見られたイザナミの神は怒り、鬼女にイザナキの神を追わせます。様々な物を投げてかわそうとするイザナキの神
ですが、上手くいきません。とうとう地上との境界である黄泉比良坂に来たとき、桃の木があったので実を投げると鬼女達は退散しました。
イザナキの神は桃の実に感謝し、これから困っている人が居たら助けるよう頼みました。意富加牟豆美(おおかむずみ)という名を与えました。
日本では弥生時代から桃を神聖な植物としてきました。「古事記」で描かれている場面もその流れのようです。そしてこの出雲神話から各地に
桃太郎が生まれていったようです。
岡山県桃太郎伝説が伝わる総社市の鬼ノ城。鬼が住んでいたと伝わる岩屋とお祀りする岩屋寺です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国譲りは天照大御神を困惑された長期戦だったようです。

出雲の稲佐の浜で行われた国譲りの談合は、緊迫した状況にはならなかったようですが、国譲りは天照大御神を悩ます長期戦だったようです。
最初の使者の菩比神は、不成功に終わりました。第2の使者、天若日子神も失敗し、そのため雉子を派遣しますが矢で射貫かれてしまいました。
困り果てた天照大御神は、遂に一番の力自慢を使者に選びました。戦国武将も篤く信仰した建御雷之男神でした。大国主大神の子の建御名方神は、
この神と稲佐の浜で力競べをし降参させられ、ようやく国譲りの交渉は成立しました。

 

 

 

 

 

 

 

鳥取市白兎にある白兎神社

海の近くにあり、沖には兎が居たとされる隠岐の島が望めます。
縁結びのご利益もあります。
傷を治してもらった兎は、「あなたが姫と結婚する」と大国主大神に告げます。この予言は的中し、今では神様として祀られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

因幡の白兎を救った大黒様が抱えていた袋の中身

「因幡の白兎」の神話は、広く知られていると思います。ずる賢い兎が痛い目に遭う話ですが、その兎を助けたのが大黒様だったという話です。
この大黒様が、大国主大神のことです。「因幡の白兎」は、「古事記」の中で大国主大神が物語に初めて登場する一場面です。
大国主大神は、おおくの兄神達の荷物を持たされ、兄神達に遅れをとりながらも、とても美しいと評判の姫の所に求婚をしに行く途中で兎と出合います。
神話のうえでは、兄神達の荷物の入った袋を持っていた事になっていますが、福の神と慕われる大黒様だけに後世では、幸せをもたらす福袋を担いで
いたとの言い伝えに変わってきています。

 

 

 

 

 

 

 

三種の神器・草薙の剣は一人前の男になった証

穏やかな大国主大神とは対照的に、荒々しい気性の須佐之男命と倭建命、この二神は、共通点が少なくありません。
苦しみの始まりは、激しい気性を父神に嫌われ遠ざけられたことです。須佐之男命は天界を追放されました。
倭建命は、仕事を次々と命じられました。しかし、草薙の剣を手にしたときから運命が好転してゆきます。
それは、人のために自分の命をかけて行った時からです。草薙の剣は須佐之男命と倭建命にとっては、未熟な青年期を
乗り越えて、成人になった証でもあります。二神は日本神話のスーパースターで、現在までも小説や漫画などに度々
描かれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

大国主大神

大国主大神は、試練を乗り越えるごとに名前を変え、最後には偉大なる神にふさわしい堂々たる名前になりました。
最初の名前は大穴牟遅神(おおおあなむじのかみ)最初の名前で語られる大国主大神はいじめられっ子で、多くの兄弟神
達に2度も殺されます。しかし、母神のお陰で生き返りました。黄泉の国の須佐之男命を頼って行くと、今度はその須佐之男命から
次々と試練を与えられます。これは憎しみと言うより根性試しでした。大国主大神は数々の苦難を乗り越えていきますが、派手なパフォーマンス
が無く、地味な印象もありますが、粘り強く「古事記」に記されている神は、死んだのに生き返る例は、大国主大神以外はありません。
その生命力の強さから病気を治し、命を蘇らせる神としても崇められてきました。国を譲ってからの大国主大神は、大地の主となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出雲大社國造家

代々世襲で出雲大社の祭祀・国造を務めているの國造家は、この天穂日命の子孫です。出雲大社の祭事に仕える最高位でもあります。
國造家は、南北朝時代に千家家と北島家に分かれ、明治時代以降は、千家家が出雲大社の宮司を歴任していらっしゃいます。
出雲大社では、水では無く火によって身を清めるという独特の伝統が残っています。
國造を受け継ぐ儀式を簡単に言えば、神聖な火で調理した物を食べる事だといえます。そうすることによって人である國造が、
天穂日命そのものになると言われています。

 

 

 

 

 

 

 

 

出雲大社の祭事の祖になった天穂日命

国譲りの交渉の時に、最初に出雲にやって来たには天穂日命(あめのほひのみこと)でした。大国主大神と意気投合し、
出雲に居着いてしまいました。のちに出雲大社創建でも活躍し、国譲りにも協力しました。元々、出雲とは御縁があったようです。
人々からも親しまれていたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

出雲大社の注連縄の謎其の一

苦労と試練の多かった出雲大社の祭神・大国主大神ですが、あのように巨大な注連縄は、何を語っているのでしょうか。?
神話では、高天原まで届く立派な社と出雲大社の本殿も昔は巨大で、そのためにも何度も倒壊しています。また、大地を
引き寄せた国引き神話、八つの頭を持つ八俣の大蛇の退治などダイナミックな神話が生まれた出雲には、とてつもなく
大きな物に対する愛着があるのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

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